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萩・松陰神社・松下村塾

萩に泊まって、2日目の午前の見学は松陰神社でした。吉田松陰は今NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で、今登場しています。
その活躍の松下村塾の建物も見学するので楽しみでした。
山口県では、多くの人が吉田松陰を松陰先生と湛えます。探訪番組で<松陰先生の「草莽崛起論」>という話をされます。草莽とは、草むらのことで、<やぶの意味から転じて仕官しないで民間にいる在野の人>をさすようです。幕末の安政期には吉田松陰らが政治的決起論としての草莽崛起論を唱えたことにより、各地に志士が輩出して、明治維新を迎えることになります。
吉田松陰については、もっと勉強しなければいけないのですが、今回は、走って見学をします。
松陰神社鳥居
▼松陰神社
明治23年(1890)、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されましたが。これが松陰神社の前身となります。明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、このほこらを公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出されます。同年10月4日に、当時の社格制度の中で県社の社格をもって創建が許可され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿としました
松陰神社拝殿
現在の拝殿は昭和30年完成したものです。学問の神様として、年始には勧学祭(合格祈願祭)が行われます。
昭和31年(1956)には、旧社殿を新社殿北隣に移し、松陰先生の塾生、門下生を御祭神とする末社・松門神社が建立されました。
境内には、松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅などがあります。
松下村塾
松下村塾 部屋の中
▼松下村塾
吉田松陰が安政4年(1857)年主宰した私塾。移築ではなく、当時からこの位置に建っていました。高杉晋作や伊藤博文など幕末維新に活躍した多くの逸材を輩出しました。木造瓦葺きの平屋建てで、国の史跡に指定されています。
松下村塾 講義室外観
松下村塾 8畳講義室
講義室だった8畳の部屋には吉田松陰が像と机が置いてあります。
ここでから、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育ちました。
吉田松陰幽囚ノ旧宅
▼吉田松陰幽囚ノ旧宅
吉田松陰が伊豆下田で海外渡航に失敗し、江戸伝馬獄から萩野山獄へ収容された後に預けられた実家・杉家旧宅です。この家で謹慎して読書と著述に専念し、やがて松下村塾で教えるようになりました。
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松陰神社と松下村塾

松陰神社は、幕末の思想家・教育者の吉田松陰が刑死してから31年後、松陰の遺言により赤間硯と書簡を神体として祀ったのがはじまりである。境内には松陰が塾長を務めた松下村塾が残されている。久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、木戸孝允ら門下生は尊王攘夷を掲げ、幕末・明治において大きな活躍を果たした。

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作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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