もう少し、多武峯内藤神社で。
多武峯内藤神社にお参りしたら、注連縄(しめなわ)がやや緑がかって新しく飾られていました。
この多武峯内藤神社の注連縄は、馬の形だと以前、聞いたことがあります。なるほど、右が頭で、左がしっぽで、足で4本、馬に見えるな、と思いました。
しかし、どうも、この注連縄は「牛蒡注連」というしめ方のようです。
ごぼうのような形をしたしめ縄です。だんだんと細くなっています。
古来より左を神聖、右を俗(日常)と考えるので、神様からみたときに元の太い部分が左側になるように飾ります。
注連縄は、神道における神祭具で紙垂(しで)をつけた縄をさします。縄連縄、標縄・七五三縄とも書きます。
(ここでは、紙垂があまり目立たないと思ったのですが、それは足に見せたいからかな・・・?)
注連縄の種類には、
①真ん中が太く両側が細い「鼓胴注連(こどうじめ/つつみどうじめ)」
②太さが一定の「注連縄」
③だんだんと細くなって行くしめ縄、「大根注連(だいこんじめ」」、「牛蒡注連(ごぼうじめ)」(大根締めは両端がつぼまり、牛蒡締めは片側のみが細い)
があります。(
多武峯内藤神社の注連縄は、牛蒡注連です。(馬に見ても良いと思いますが)
輪飾りの縄も結びが梅の形になっていてすてきでした。
ついでながら、「神馬」のこと。
奈良時代の『続日本記(しょくにほんぎ)』(797年完成)には「神の乗り物として生きた馬を奉納していた」と記されており、神社に馬(神馬=しんめ/じんめ)を奉納する習慣が奈良時代ごろから生れたようです。でも、それは大変で、平安時代には、簡素化されて、境内には馬の彫刻を飾り、奉納は馬から神馬を絵に書いたものに供え物を添えて奉納するようになりました。これが現在の、境内に彫刻の白馬が入った神馬殿(舎)を建てたり、絵馬を奉納するようになった起源であるといわれます。
この多武峯内藤神社の注連縄は、馬の形だと以前、聞いたことがあります。なるほど、右が頭で、左がしっぽで、足で4本、馬に見えるな、と思いました。
しかし、どうも、この注連縄は「牛蒡注連」というしめ方のようです。
ごぼうのような形をしたしめ縄です。だんだんと細くなっています。
古来より左を神聖、右を俗(日常)と考えるので、神様からみたときに元の太い部分が左側になるように飾ります。
注連縄は、神道における神祭具で紙垂(しで)をつけた縄をさします。縄連縄、標縄・七五三縄とも書きます。
(ここでは、紙垂があまり目立たないと思ったのですが、それは足に見せたいからかな・・・?)
注連縄の種類には、
①真ん中が太く両側が細い「鼓胴注連(こどうじめ/つつみどうじめ)」
②太さが一定の「注連縄」
③だんだんと細くなって行くしめ縄、「大根注連(だいこんじめ」」、「牛蒡注連(ごぼうじめ)」(大根締めは両端がつぼまり、牛蒡締めは片側のみが細い)
があります。(
多武峯内藤神社の注連縄は、牛蒡注連です。(馬に見ても良いと思いますが)
輪飾りの縄も結びが梅の形になっていてすてきでした。
ついでながら、「神馬」のこと。
奈良時代の『続日本記(しょくにほんぎ)』(797年完成)には「神の乗り物として生きた馬を奉納していた」と記されており、神社に馬(神馬=しんめ/じんめ)を奉納する習慣が奈良時代ごろから生れたようです。でも、それは大変で、平安時代には、簡素化されて、境内には馬の彫刻を飾り、奉納は馬から神馬を絵に書いたものに供え物を添えて奉納するようになりました。これが現在の、境内に彫刻の白馬が入った神馬殿(舎)を建てたり、絵馬を奉納するようになった起源であるといわれます。
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