幸神社 出雲路幸神 出雲路道祖神社
寺町通りを西に少し行くと、幸神社があります。幸神社と書いて「さいのかみのやしろ」と読みます。
京都の神社からみるとまことに慎ましやかな神社ですが、とても故事来歴の多い神社です。
ひとつだけ記しておくと縁結びの言い伝えがあります。
天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が神々を連れて、天から高千穂へ向かっていました。分かれ道にさしかかると、1人の男に出会いました。その男は、背が高く、赤く輝く目をして、長い鼻をした男でした。
天岩屋戸に隠れた天照大神を、踊ることで岩戸から出すことに成功した天鈿女命(あめのうずめのみこと)が前に出て、名をたずねると、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)だと名のります。そして、一行を道案内をするために待っていたのだと言います。
無事に道案内をしてもらい、天鈿女命と猿田彦大神は結ばれたそうです。
幸神社はその猿田彦大神と天鈿女命を祀っています。
また、狂言に夫と別れるのを石神に決めてもらうため、石を持ち上げられるかどうかをつづる「石神」という演目がありますが、その石がここの神社にある石だという言い伝えもあります。

そうした縁で、ここは縁結びの御利益があります。
また、このあたりは、平安京以前は出雲氏一族が本拠地としていました。また鴨川河畔西側の出雲路にあり、出雲への出発点となっていたともいいます。主祭神の猿田彦大神は出雲路の道祖神でもあり平安の都ができると、平安京の鬼門の東北の神を担なうことになります。歌舞伎の創始者・出雲阿国もこのあたりで誕生したとのことです。

ただ、今回私がお参りしたのは、幸神社は門の前の石碑にも記されているように「鬼門除け」で、猿の像を見たかったからです。鬼門については、次回にまとめます。
京都の神社からみるとまことに慎ましやかな神社ですが、とても故事来歴の多い神社です。
ひとつだけ記しておくと縁結びの言い伝えがあります。
天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が神々を連れて、天から高千穂へ向かっていました。分かれ道にさしかかると、1人の男に出会いました。その男は、背が高く、赤く輝く目をして、長い鼻をした男でした。
天岩屋戸に隠れた天照大神を、踊ることで岩戸から出すことに成功した天鈿女命(あめのうずめのみこと)が前に出て、名をたずねると、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)だと名のります。そして、一行を道案内をするために待っていたのだと言います。
無事に道案内をしてもらい、天鈿女命と猿田彦大神は結ばれたそうです。

幸神社はその猿田彦大神と天鈿女命を祀っています。
また、狂言に夫と別れるのを石神に決めてもらうため、石を持ち上げられるかどうかをつづる「石神」という演目がありますが、その石がここの神社にある石だという言い伝えもあります。

そうした縁で、ここは縁結びの御利益があります。
また、このあたりは、平安京以前は出雲氏一族が本拠地としていました。また鴨川河畔西側の出雲路にあり、出雲への出発点となっていたともいいます。主祭神の猿田彦大神は出雲路の道祖神でもあり平安の都ができると、平安京の鬼門の東北の神を担なうことになります。歌舞伎の創始者・出雲阿国もこのあたりで誕生したとのことです。

ただ、今回私がお参りしたのは、幸神社は門の前の石碑にも記されているように「鬼門除け」で、猿の像を見たかったからです。鬼門については、次回にまとめます。
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