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井上ひさしの『ナイン』 四ッ谷駅前しんみち通りと外濠公園野球場

 小学校6年生の5人と、四谷から市ヶ谷にかけての外濠を歩きました。
井上やすし 「ナイン」
 四ッ谷の駅のそばに、外濠公園があって、その中に野球場があります。
 この野球場を舞台とする小説『ナイン』を井上ひさしが書いています。
 しんみち通り

 東京の四ツ谷の駅を出た西側に「しんみち通り」という今では飲食を中心とする夜にサラリーマンを中心に賑わう通りがあります。
 この通りは、「新道」というので、文字どおり新しい少なくても昭和にできた通りだと思いがちですが、江戸時代の切り絵図にもちゃんと「シンミチ」と出ていて、古くからある通りです。
 でも当然昔は今のように、飲食中心の通りではなく、そこで暮らす町でした。
一応商店街と言われ、その町内には生活に必要なお店がきちんとあって、「ささやかではあるが自給自足ができた」と井上ひさしの『ナイン』にも書かれています。
 井上ひさしは、その新道商店街にあった中村畳店に下宿したことがあって、これもかつて四谷にあった文化放送の仕事の帰りにその中村畳店に寄ったことから、物語は始まります。そして、下宿していたころの話題になるのです。
 その井上やすしが下宿してうたころの新道商店街は、新道に暮らす人たちがつながりをもっていました。でもそれから10年、20年と経つ中で土地の値がドンドン上がっていって、その商店街で生活していた人たちは、その土地を処分して郊外に土地付きの家を建て、出て行きます。
 したがって、かつて人と人の強いつながりがあった商店街もしだいにそのつながりが希薄になっていきます。
 文化放送の帰りに寄った時は、そうしたつながりが薄れてきた時代です。
 そしてつながりが強かったころ、「ナイン」の活躍がありました。
 『ナイン』は、新道商店街にあった新道少年野球団のお話です。新道少年野球団は、一緒にあるいた子どもたちと同じ小学6年生でした。
 新道少年野球団は新宿区の野球大会を勝ち上がって、決勝戦までいきます。
 新道少年野球団のチームのピッチャー「英夫」は、畳屋の中村さんの息子です
 もう一人物語りで、重要なメンバーに、洗濯屋の息子でキャッチャーでキャプテン、4番バッターの正太郎がいます。
この正太郎と英夫を中心とした9人しかいないメンバーで勝っていったのです。
 戦いの球場は、外濠公園野球場でした。
 準々決勝までは1日1試合ですが、準決勝と決勝は同じ日に行われました。
外濠公園野球場は、今はフェンスに囲まれていますけれど、当時はフェンスがなかったといいます。
一塁側は公園の斜面になっていて大きな木が生えています。三塁側は西日の日差しを遮るものがなかったようです。だから、一塁側に陣取ったら攻撃の時、木の日陰に入って汗をふくことができるのですが、三塁側になったら、暑さにやられっぱなしになります。新道少年野球団は、決勝で、三塁側になりました。
 また、決勝の相手チームはピッチャーが3人いましたが。新道少年野球団は英夫1人でした。英夫は当然、決勝も投げます。その日は順決勝もあり大きな負担でした。
 3回、4回と回が進み、5回を終わったところで、英夫がベンチに座って、ぐたっとしていました。当然キャッチャーの正太郎には、英夫の疲れがわかります。
 英夫がベンチでぐったりしていたときです。突然涼しくなりました。太陽が遮られたのです。英夫はハッとして顔を上げます。すると、顔の上に正太郎の背中が見えました。その正太郎に習って、ナインのメンバーが日陰をつくって太陽を遮って英夫の疲れを癒そうとしたのです。
 その部分を、『ナイン』(講談社文庫)から引きます。
 「……決勝戦の六回ごろだったと思いますが、ベンチに戻ってぐったりしていると、さっと涼しくなりました。見ると、正ちゃんがぼくの前に立って日陰をつくってくれているんです。正ちゃんにならってナインがぼくの前に立ちはじめました。これが十二回までつづいたんです。ぼくが完投できたのは西日をさえぎってくれたあの日陰のおかげです。途中、常雄がふらふらっとしかけましたが、そのときも正ちゃんがいいました。常雄も日陰に入れ。遠慮するな。これはキャプテン命令だぞって。パレードのとき泣いていたのもうれしかったからです。自分たちは日陰なぞあり得ないところに、ちゃんと日陰をつくったんだぞ。このナインにはできないことはなにもないんだ。そんな気持ちでいっぱいでした。その気持ちはいまでもどこかに残っていると思います。だから……」  
 結局野球は、延長戦で12回まで行きますが新道少年野球団は負けます。準優勝でした。
でも「よく頑張った。見事な準優勝だ」ということで新道通りをパレードします。
その新道商店街には、歌舞伎役者岩井半四郎の家族が住んでいました。娘さんは、女優として有名になりましたが、その姉妹が小学生と中学生の頃です。家の前で拍手で迎えてくれ、岩井半四郎さんが祝儀袋をさっと差し出し「よく頑張ったね」と一言。それを受け取った正太郎は、そこで感極まってワーッと泣き出しました。英夫も泣きます。ナインのメンバーが全員が泣きながらパレードをします。その泣きながらパレードする姿を見て、この子らは決勝で負けたのがよほど口惜しかったのかと、パレードを見ていた人は思いました。
 井上ひさしが中村さんという畳屋さんを訪ねたころ、その少年たちは30歳になっていました。
 ナインのメンバーはそれぞれ活動しています。ただキャプテンだった正太郎は少し違いました。畳屋の中村さんが言うには、英夫は正太郎に畳を85万円分だまし取られたと言うのです。
 しかし、英夫は正太郎のことを悪く言いません。
 畳屋の中村さんにしてみれば、常雄は4百万円余りを盗まれ奥さんも寝取られ自殺未遂を起こしたという事情があるということを英夫が言うのですが、それだからと言って、かばうことはどうしても納得出来ません。
 英夫が正太郎の話をします。
 <正太郎は僕らのためになることをして歩いていると言う。なぜなら、自分は85万円だまし取られた穴埋めをするために仕事に精を出すようになった。常雄の奥さんは高慢ちきだったが問題を起こしてからは別人のようになった。こうした信頼感は、野球の決勝戦で、正太郎が疲れていた英夫や常雄の為に自分の体で日陰を作ってくれたことから生まれている。パレードの時泣いていたのもそのことがうれしかったからだった。このナインにはできないことはなにもないんだという気持ちが今もどこかにある。正太郎が洗濯屋であったのは、洗濯屋は汚れた衣類を洗って綺麗にすることが仕事であるように、正太郎はナインの苦しい状況を身をもって洗い清めてくれる、いわばナインの人生の洗濯屋であったからである。>
外濠公園野球場

 中村家を出た井上ひさしは、外濠公園野球場に向かいました。
 「中村畳店から、わたしは外堀通りを市ヶ谷へ向かった。金網越しに野球場を見ると、木枯らしに吹き上げられた砂煙がグラウンドを走り回っている。振り返って西を見ると、大会社の大きなビルが野球場に覆いかぶさるように立っていた。この十何年かのうちに、ここには西日がささなくなってしまったようである。」
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いい話なのですが
・・・
すみません、井上ひさしです。

No title

ご指摘ありがとうございました。
プロフィール

作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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