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阪東妻三郎主演の「王将」を見て

 NHKBSシネマの「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~家族編~」50本が終わりました。後50本は喜劇編のようです。
 家族編は50本、ほとんど見ました。
 その当時に見た映画もありましたし、それ以前、うわさの名作も見ることができました。その時代の雰囲気が感じられて二重に感動することができました。映画館へ行くことが少なくなってしまったのですが、これまでの見た映画の整理という意味でも価値があったと思います。
 最後は、山田洋次監督の「家族」でしたが、その前は、伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演の「王将」でした。昭和23年(1948)の作品です。
王将の坂東妻三郎
 阪東妻三郎の「無法松の一生」も好きですが、この「王将」も好きです。
 伊藤大輔監督は、この話、好きだったのでしょうね、7年後に辰巳柳太郎主演で撮っています。他に監督は別ですが、三國連太郎や勝新太郎主演の作品もあります。村田英雄の「王将」は三國連太郎主演映画の主題歌です。
 
 織田作之助の『可能性の文学』(昭和22年8月30日発行) に坂田三吉が出てきます。
 坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変りな人物は出ないであろう。奇行、珍癖の横紙破りが多い将棋(しょうぎ)界でも、坂田は最後の人ではあるまいか。
 坂田は無学文盲、棋譜も読めず、封じ手の字も書けず、師匠もなく、我流の一流をあみ出して、型に捉えられぬ関西将棋の中でも最も型破りの「坂田将棋」は天衣無縫の棋風として一世を風靡(ふうび)し、一時は大阪名人と自称したが、晩年は不遇であった。いや、無学文盲で将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、他人の仲介がなくてはひとに会えず、住所を秘し、玄関の戸はあけたことがなく、孤独な将棋馬鹿であった坂田の一生には、随分横紙破りの茶目気もあったし、世間の人気もあったが、やはり悲劇の翳がつきまとっていたのではなかろうか。中年まではひどく貧乏ぐらしであった。昔は将棋指しには一定の収入などなく、高利貸には責められ、米を買う金もなく、賭(かけ)将棋には負けて裸かになる。細君が二人の子供を連れて、母子心中の死場所を探しに行ったこともあった。この細君が後年息を引き取る時、亭主の坂田に「あんたも将棋指しなら、あんまり阿呆(あほ)な将棋さしなはんなや」と言い残した。「よっしゃ、判った」と坂田は発奮して、関根名人を指込むくらいの将棋指しになり、大阪名人を自称したが、この名人自称問題がもつれて、坂田は対局を遠ざかった。

 
 これが坂田三吉の本当の現実の姿かどうかはわかりませんが、この文章から見ると、奥さんは坂田三吉が、「関根名人を指込むくらいの将棋指し」になる前に死んだようです。映画は、関根の名人位のお祝いに東京へ行っている時に亡くなります。
 感動を呼ぶ良くできた物語です。実際にいた人物をモデルにしている強みに裏打ちされた物語、その物語に、感動します。
 特に心をうつのは、上記の夫婦愛、家族愛と、もちろん将棋への取り組む姿です。
 「銀が泣いている」という有名な言葉を思い出していたので気にして見たのですが、この映画ではセルフとして出てこなかったように思います。
 でも、有名ですね、「銀が泣いている」。
 もう一度織田作之助の「可能性の文学」です。

 坂田の名文句として伝わる言葉に「銀が泣いている」というのがある。悪手として妙な所へ打たれた銀という駒銀が、進むに進めず、引くに引かれず、ああ悪い所へ打たれたと泣いている。銀が坂田の心になって泣いている。阿呆な手をさしたという心になって泣いている――というのである。将棋盤を人生と考え、将棋の駒を心にして来た坂田らしい言葉であり、無学文盲の坂田が吐いた名文句として、後世に残るものである。この一句には坂田でなければ言えないという個性的な影像があり、そして坂田という人の一生を宿命的に象徴しているともいえよう。苦労を掛けた糟糠(そうこう)の妻は「阿呆な将棋をさしなはんなや」という言葉を遺言にして死に、娘は男を作って駈落ちし、そして、一生一代の対局に「阿呆な将棋をさし」てしまった坂田三吉が後世に残したのは、結局この「銀が泣いてる」という一句だけであった。一時は将棋盤の八十一の桝も坂田には狭すぎる、といわれるほど天衣無縫の棋力を喧伝(けんでん)されていた坂田も、現在の棋界の標準では、六段か七段ぐらいの棋力しかなく、天才的棋師として後世に記憶される人とも思えない。わずかに「銀が泣いてる坂田は生きてる」ということになるのだろう。しかし、私は銀が泣いたことよりも、坂田が一生一代の対局でさした「阿呆な将棋」を坂田の傑作として、永く記憶したいのである。 

 文中に「娘は男を作って駈落ちし」とありますが、映画では、親の三吉に健気に父に意見をします。とても感動的で、こういう風にみていくと、現実よりやはり物語だな、という気がします。現実は味気ないし、つらいです、
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阪東妻三郎と伊藤大輔

阪東妻三郎さんは、不思議な時代劇スターだと思います。
ほとんどの時代劇スターには当たり役があります。
市川歌右衛門さんなら、「旗本退屈男」。
嵐寛寿郎さんなら「鞍馬天狗」。
大河内傳次郎さんなら「丹下左膳」。
阪東妻三郎さんの時代劇での代表作は、「雄呂血」ですが、
ヒーローが快刀乱麻の活躍をしてシリーズ化される痛快作ではありません。
阪東妻三郎さんの当たり役はどれも現代劇です。
「無法松の一生」と、この坂田三吉を演じた「王将」です。
一方の伊藤大輔監督も不思議な監督です。
大スター俳優には、主演作品を数多く演出する監督がいます。
長谷川一夫(林長二郎)さん主演作品を数多く撮った衣笠貞之介監督。
山中貞雄監督は嵐寛寿郎さんのプロダクションで「鞍馬天狗」「右門捕物帖」を撮って実績を作りました。
伊藤監督も大河内傳次郎さん主演「忠次旅日記」で注目を集め、
丹下左膳を大河内さんの当たり役にしました。
しかしながら、大河内さんは東宝に引き抜かれました。
このとき、東宝は失態を犯しました。
伊藤監督を引き抜かなかったのです。
林長二郎さんを引き抜いたときには、衣笠監督も引き抜いて
「川中島合戦」を作ったというのに。
しかしながら、これでめげないのが伊藤監督です。
時代劇映画が撮りにくくなった戦時中、
明治維新後、日本に進出したアメリカ人実業家の野望を鞍馬天狗が暴く「鞍馬天狗 横浜に現る」を撮ったのです。
主演はもちろん嵐寛寿郎さんです。
「イドウダイスキ」の異名を取った伊藤監督は、
嵐寛寿郎さんを造船所の大セットで走らせるシーンを撮りました。
戦後、さらに時代劇が撮りにくくなった時期に撮られたのが「王将」です。
伊藤監督作品名物の移動シーンは、自動車が走るシーンを生み出しました。
東映でも中村錦之助さん主演の「風雲児」を撮るなど、
伊藤監督は多くのスターの出演作品を撮った異色の監督となりました。
プロフィール

作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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