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八丁堀と堀部安兵衛

東京駅から「八重洲通り」を真っ直ぐに東に向うと「八丁堀」に出ます。その先にあるのが「亀島川」です。
中央区にある霊岸橋付近で日本橋川から分流し南へ流れ、亀島橋を過ぎたあたりで南東に折れ、中央区の中央大橋下流で隅田川に合流する川です。出会った橋が亀島橋です。
亀島川
亀島橋は元禄12年(1699)ごろ架橋されたと考えられています。「亀島」の名称は昔、瓶を売るものが多くいたからとの説とか、かつて亀に似た小島があったからとの説があります。
かめじまはし
八丁堀は2つの堀川に囲まれた地域になります。堀川のひとつが、「桜川」公園の地名で残っている堀川です。そしてもうひとつが、「楓川」(もみじがわ)。この2つがぐるりと囲む堀川の長さが8町(945メートル)ほどだったようです。
そのため、「八町堀」と名付けられました。
「丁」は「町」の略字。江戸時代の古地図には、「八町堀」の記載もあります。
江戸時代の八丁堀には町奉行配下の与力・同心の組屋敷が置かれ、新川は酒問屋を中心とした問屋の町として栄え、亀島川には全国から物資を運ぶ船が往来し、繁栄していました。
さて、この「亀島橋」の左側のたもとに、「堀部安兵衛武庸之碑」があります。
「堀部安兵衛武庸之碑」
堀部安兵衡は、越後新発田藩(新潟県新発田市)溝口家中山弥次右衝門の息子でした。父は藩内でのいざこざがもとで謹慎中に悲運の病死を遂げます。
安兵衛は中山家再興の一念を抱いて江戸に出、住居は水谷町(現八丁堀1丁目)の棟割長屋の一軒に住まいました。そして、剣客・堀内源左衛門の門に入り、剣術を学び仕官の道を求めました。
その堀内道場で知り合った菅野六郎左衛門と、叔父甥の契約を結びます。
これは、仕官の折に寄親(身元引受人)が必要だったこともあります。
さて、堀部安兵衛はその34年の生涯に2度の仇討を果たしたと言われます。
最初は「高田馬場の決闘」そして、赤穂浪士、四十七士の討入です。
高田馬場の決闘は諸説ありますが、安衛門と叔父、甥の約束の菅野が酒の席で同僚の村上庄左衛門と口論となり、その場は治まったがこれを遺恨とした村上が菅野に果たし状を突きつけたことに発します。
いずれにしても、安兵衛は義によってこの決闘に参加したのです
あと講談調になります。
決闘の当日、叔母から知らせを受けた安兵衛は八丁堀から鍛冶橋、竹橋、飯田橋、改代町、馬場下、高田馬場と10数kmを走りに走ります。
途中改代町16番地の松の根方で一休みしたので、その松を”安兵衛腰掛けの松”とよばれました。次ぎに馬場下の酒屋で息継ぎに一升酒を飲んで馬場に駆けつけましたが、時すでに遅く、村上一派は祝杯の真っ最中。
斬り込もうとしましたが襷(たすき)が無く、落ちている縄で代用しようとしたが、見物人の中の娘が「仇討ちにお縄は不吉」と言って、着けていた赤いしごきを安兵衛に渡します。赤い襷をした安兵衛は18人を斬り倒し、仇を討った。」その娘”お幸”は赤穂浅野家家臣、堀部弥兵衛の娘で、その縁で、安兵衛は堀部家の婿養子となり、浅野家に仕え、四十七士となるわけです。
これが、昔から聞いていた「高田馬場の仇討ち」です。
元禄7年2月11日(1694年3月6日)、菅野六郎左衛門が高田馬場で果し合いをすることになり、武庸は助太刀を買って出て、一緒に果たし合いの行き、相手方3人を斬り倒したといったことがあり、この決闘での武庸の活躍が「18人斬り」として江戸で評判になり、これを知った赤穂浅野家家臣・堀部金丸が武庸との養子縁組を望んだ、というのが、真実に近いようです。
走ったのは真実でだとしても、それは八丁堀からでなく、仕事場のあった加賀町あたりからと言われています。せいぜい2キロです。
もう一度講談調。
「呑兵衛安の異名をとっていた安兵衛は、この日もしこたま飲んでの朝帰り。昼近くになってようやく叔父菅野六郎左衛門からの書き置きのあることを知り、一読するや脱兎のごとく駆けだした。とにかく、走る、走る、走る・・・。
八丁堀から鍛冶橋・竹橋・飯田橋・改代町・馬場下と走りに走って高田馬場へと飛び込んだ。この時、既に伯父は深傷を負って虫の息。「叔父上、安兵衛が参りましたぞ!しっかりなされい!」。周囲は村上方の侍で取り囲まれている。”・・・。」
やはり物語はおもしろいです。
その八丁堀に「堀部安兵衛武庸之碑」があり、旧跡「高田馬場」近くの水稲荷にも「堀部武庸加功之遺跡碑」があります。
水稲荷「堀部武庸加功之遺跡碑」
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プロフィール

作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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