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江戸城 玉川上水の最終場所と富士見櫓

12月23日は天皇誕生日です。一般参賀で、坂下門から本丸へ入りました。蓮池濠があり、右に行くと、富士見櫓です。
はす池
その右に行くあたりの石垣に、少し突き出たものがあります。これが、羽村から流れ来た玉川上水の最後の場所なのです。
玉川上水最終地点と富士見櫓
江戸城 玉川上水最終はけ口
ここから、下に落ちて行きました。その場所は、今は埋められていますが、蓮池壕だった所です。左の蓮池壕とつながっていました。
羽村から今玉川上水を歩いていますが、その最後の場所を、見ました。
その右にそびえるのは富士見櫓です。
江戸城 富士見櫓
現在の富士見櫓は,明暦3年(1657年)の大火で焼失した2年後の万治2年(1659)に再建されたもので,江戸城の本丸の建物の中で現存する最も古い建物で貴重な遺構となっています。櫓の高さは15.5m、石垣の高さは14.5m。三重の櫓は,どこから見ても同じ形に見えるため八方正面の櫓とも呼ばれていました。
大正12年(1923)には関東大震災の被害を受けましたが、主要部材に旧来の材料を用いて修復されました。
天守閣が明暦3年(1657)の大火で焼失した後復旧されなかったので、この富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。
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前回に続いて、関口水神社と芭蕉庵で

関口の水神社のイチョウは好きな樹木の一つです。雄雌の2本で見事に葉を黄色に染めていました。
関口水神社の2本のイチョウ

芭蕉庵、芭蕉のかえるの句碑の向こう、赤と黄色が見事でした。
芭蕉庵 芭蕉の句碑の前で

同じく芭蕉庵。太い竹林の間に紅葉が見えました。
芭蕉庵 竹とその向こうの紅葉

関口台公園から椿山荘 紅葉散策

江戸川公園から関口の台地を、紅葉を鑑賞しながら歩きました。
関口台公園
マレーシア大使館の跡地で、関口台地の東斜面を利用した公園です。池の前面に明るい芝生地が広がっていますが、背景の斜面地はにはヤマモミジが多く植栽されて、きれいでした。
関口台公園のヤマモミジ

水神社
井の頭池から発する流れに、善福寺池、妙正寺池の流れを落合であわせ、関口で取水して水路を定めたのが神田上水です。
関口大洗堰を築いてまもなく、水神が八幡宮社司の夢枕にたち「我水伯なりこの地に祀らば堰の守護神となり、村人はじめ江戸町人ことごとく安泰なり」と告げた。
水神社の2本のイチョウ

関口芭蕉庵
松尾芭蕉は延宝5年(1677年)から4年余り、神田上水の改修工事にかかわり、その際、当地に仮の住居を構えました。竜隠庵に住んだのか、あるいは、後に竜隠庵ができたのか、水番屋に住んだとの説もあり、その辺は定かではありませんが、ともあれ旧跡とされるところは竜隠庵、あるいは芭蕉庵と呼ばれ、彼を慕う俳人たちの聖地となりました。
関口芭蕉庵の紅葉

新江戸川公園
新江戸川公園は幕末には細川越中守の下屋敷だったところで、明治期に細川家の本邸として使われた後、昭和30年代になって公園として整備、公開されました。目白台台地が神田川に落ち込む斜面地の起伏を活かした回遊式泉水庭園です。
新江戸川公園の紅葉

椿山荘
上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷があった場所を山縣有朋が私財を投じて「つばきやま」を購入し整備して「椿山荘」と命名しました。東京空襲で殆ど灰燼に帰してしまいましたが、藤田興業の創業者「小川栄一」が一万を超える樹木を移植し復興させたました。
椿山荘

「描かれた都-開封・杭州・京都・江戸」

大倉美術館、特別展「描かれた都-開封・杭州・京都・江戸」に行きました。大倉美術館は、まったく久しぶり、会場が思っていたより広かったです。
描かれた都のチラシ
「描かれた都-開封・杭州・京都・江戸」です。
第一部:北宋の都,開封―水辺の都市の変容,蘇州へ
中国の都と言えば、まず、長安、洛陽を思い浮かべます。そして、北京、南京など。
数々の「都」が存在する中国の長い歴史の中から、開封・杭州を選んだのは、絵画史上日本に影響を最も与えた宋代の都だったからということです。
開封市は、知りませんでした。Wikipediaで見ました。
・開封市(かいほうし)…中国でも最も歴史が古い都市の一つであり、北宋の首都であった。11世紀から12世紀にかけて世界最大級の都市であった。
・杭州市(こうしゅうし)…中国八大古都の一つ。南宋時代には事実上の首都、臨安府が置かれた。13世紀は世界最大の都市であった。
中国の至宝とされる「清明上河図」。その模本3点(民代1点、清代2点)が展示されています。小さいのですが、人物を一人ずつ見ても楽しいです。みんな違ってかわいらしかったです。何をしているのか興味を惹かれました。
第二部:南宋の都,杭州―憧憬の西湖
現在、ユネスコの世界遺産にも登録されている西湖 (杭州市)は、室町から江戸時代の日本人にとって「憧憬の西湖」であったようです。
第三部:京都―花洛尽くしの世界
京都を描いた作品と言えば「洛中洛外図屏風」です。狩野永徳「洛外名所遊楽図」も展示されています。約2年間の修復を終えお披露目となる久隅守景「賀茂競馬・宇治茶摘図」(重要文化財)もありました。
ところで、京都の一地域(名所)を描いた作品が先か、それとも京都全体を俯瞰するように描いた「洛中洛外図」が成立上先かこれは、専門家の間でも意見が分かれているそうですが、
どうなのでしょう。
第四部:江戸―新たな東都,現代へ
京都のような、全体を「洛中洛外図」のような作品は江戸にはあまりありません。これは一つには、庶民が好きな名所を買い求めることが出来るようになったことが影響していると考えられます。歌川広重の「名所江戸百景」を代表とする浮世絵です。
江戸時代の日本橋を描いた、鍬形蕙斎の「東都繁盛図巻」では大きな川の手前に庶民の生き生きした姿を、橋を画面奥に渡って行くのは大名行列。
そして、日本橋のたもとにあった魚市場が生き生きと描かれています。とにかくそこに描かれている魚の種類の豊富さに驚かされます。クジラかサメのような、とても大きな魚まで描かれています。これは見飽きません。
4つの都がどのようにして描かれ受容されたのか、実に分かりやすく構成されています。
展示の最後に山口晃の過去と現代が入り混じった「東京圖 六本木昼図」、「東京圖 広尾-六本木図」が飾られています。そこに書いてあった言葉。
「ある一時期のものを描いたとしても、それが普遍性をもつようにするのが大事です。そしてその普遍性と云うのが、描かれた時点での現代性を表している事も大切なのです。そう云う絵になっているとよいのですが……」(山口晃)
この言葉から、「描かれた都市」について、少し考えてみたくなりました。
それで、少し高いですが、図録も購入しました。
プロフィール

作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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