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プラド美術館所蔵「ゴヤ 光と影」展

 国立西洋美術館のプラド美術館所蔵「ゴヤ 光と影」展に行ってきました。
 小さな版画が多いと聞いていたので、あまり混んでいると困るな、と思って行ったのですが、確かにたくさんの人でしたが、そんなに見るのに困るほどでなく良かったです。
ゴヤ  理性が眠れば怪物たちが生まれる
 家に、1971(昭和46)年に同じ国立西洋美術館で開催された「ゴヤ展」のカタログがあります。観に行ったのです。この時は、「着衣のマハ」と「裸のマハ」双方が来て話題でした。40年ぶり、今回は、「着衣のマハ」のみです。
 その40年前から「ゴヤ」は、とても気になる画家でした。特に暗い版画に惹かれて、岩波書店から出た大きな画集を買っています。(その本はどこかにあるはずなのですが、建て替えしてどこに仕舞ったか、わからなくなっています。そんなに大きな屋敷ではないのですが)。
 また、堀田善衛著『ゴヤ』は1977年(昭和52年)新潮社から刊行されました。この本もぜひ読みたいと思っていて、いまだに読んでない本にひとつです。今は集英社文庫になっているようで、今回の展示を見て、何とか読まなくてはと思いました。
 ゴヤは、そんな風にとても気にはなっている画家なのですが、しかし、勉強していない画家です。
ゴヤ 着衣のマハ
今回の展覧会の目玉は、やはり「着衣のマハ」です。そうかと言って特別に一部屋をとっての展示はしていません。
 この「着衣のマハ」については、いろいろ語られています。
 そもそも、マハ(maja)とは、「小粋な女(小粋なマドリード娘)」という意味のスペイン語だそうで、人名ではないのです。
 マハと呼ばれる女の人は、この地方独特の歯切れの良い発音と言い回しで、若い男と戯れ、時には自由奔放な生活を楽しんだということです。
 そういうことで、このモデルについてはいろいろ語られています。
 モデルについても、1つはゴヤと関係のあったアルバ公夫人マリア・デル・ピラール・カィエターナ(カイェテナ)を描いたとする説があります。しかし、これは、ゴヤの描いたアルバ公爵夫人の素描や肖像画の顔と比較しあまりに異なっているので、違うのではないかとも言われます。もう1つの説は首相であったマヌエル・デ・ゴドイの愛人であったペピータを描いたとする説です。
 この「着衣のマハ」と「裸のマハ」の2点は、もともと、宰相ゴドイの邸宅にありました。そのため、ゴドイの依頼を受けて描かれたものと言われています。
 先日テレビを見ていたらその屋敷で、「着衣のマハ」と「裸のマハ」の絵は、壁の裏表に飾られていました。並んで展示されてはなかったのですね。
 さらに、「着衣のマハ」はゴヤが直接描いたものでなく、彼の弟子によるものだという見解が、プラド美術館が発表しているようです。
 そうなると評価はどうなのでしょう。でもやはり、そうは言っても、ゴヤの数多くの作品の中でも最も有名な作品のひとつであることには変わりないと思います。
 そのようにゴヤは、まだまだ謎が多い画家で、いろいろと研究されているようです。
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「江戸名所図会」に描かれた「内藤新宿」

江戸名所図会 内藤新宿
 江戸名所図会の「内藤新宿」です。
 季節はいつでしょう。
 右上に、四谷内藤新宿とあり、<節季候の来れば風雅も師走哉 芭蕉> とあります。
節季候は「せきぞろ」と読み、「節季(せっき)にて候」ということです。
その節季が来れば、師走だ、というので、季節は師走、12月です。
 節季候は、江戸時代の門付けのひとつで、12月の中旬ごろから3、4人1組で、紅白の紙を飾った編み笠、あるいはウラジロの葉をつけた笠をかぶり、白紙の前垂れに松竹梅などを描き、小型の太鼓を打ち、ささらを摺り合わせながら、「エ、節季ぞろエ節季ぞろ、さっさござれやさっさござれや」などと騒がしく、銭を乞いました。
 みんなは、暮れの忙しい時なので、早くどこかに行ってくれと、銭を与えたようです。
 この内藤新宿の名所図会では、旅籠屋の前で、節季候が騒いでいます。
 そばに、三味線を弾いていま女太夫が描かれていますが、この女太夫は、門口に立ち、求めに応じて曲を語りました。絵では、編み笠をかぶっていて、それは「鳥追い」と呼ばれるスタイルをしています。この鳥追いの格好は、正月になって、正月の15日まで門口に立つのが、本来です。
 「節季候」の言葉書きの下には餅つきが描かれています。
ずっと下の方にも、臼を転がし、杵を担いでいる男の姿が描かれています。餅つきは、家でつけるのは金持ちで、普通の家では人足がこうして臼や杵を運んで家の前で餅をつきました。
 左側の大きな旅籠屋は「和國屋」という名前が見えます。飯盛り女が魚屋を相手にしています。魚屋の1人が差し出しているのは蛸のようです。
 店の右奥には、鏡研ぎがいます。その鏡研ぎの前には1人の飯盛り女が座っています。当時の鏡は銅製だったので、時々こうして磨く必要がありました。
 寒い時に磨いたということですから、時機なのかもしれません。
 右下には、「味噌おろし屋」の看板が出ている店があります。
 道の真ん中には軽子が札を立て大きな荷物を担ぎ、そばに武士がついています。
 他にも馬に乗った旅人、女2人の旅人、松らしい荷物をつんだ馬なども描かれています。
 年末の内藤新宿が描かれた江戸名所図会です。
プロフィール

作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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