目黒 田道の庚申塔と茶屋坂
目黒を目黒川沿いに歩きました。
目黒駅から、権之助坂を下り、目黒川に出ます。目黒川に沿って歩き田道橋まで来て、少し左に行くと、1つの庚申塔があります。柊庚申とありした。
そこをもう少し行くと、「田道庚申塔群」があります。

屋根があって、1基のお地蔵さんと6基の庚申塔が並んでいます。
延宝年間から元禄、正徳までと江戸の前半のものですが、保存状態は大変良好で、青面金剛、太陽と月、二羽の鶏、三匹の猿の彫刻がそれぞれにはっきり確認できます。
右から年代を記してみます。
1673(延宝 1)造立の念仏供養(ねんぶつくよう)のお地蔵さま。
1677(延宝 5)造立の青面金剛。
1695(元禄 8)造立の青面金剛。
1680(延宝 8)造立の青面金剛。
1695(元禄 8)造立の青面金剛。
1692(元禄 5)造立の青面金剛。
1713(正徳 3)造立の青面金剛。
先に関口の方の庚申塔を紹介しましたが、その時はっきり出ていなかった太陽と月もここでははっきり彫られています。

庚申塔群の前を通る道は、かつて麻布、青山方面から目黒不動尊(めぐろふどうそん)への順路で、江戸中期以降はやや町並化された場所でした。
その道を、田道橋を渡って麻布、青山方面へ向かうと、すぐ茶屋坂があります。

「茶屋坂と爺々が茶屋」跡の説明板は次のように記してあります。
<この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、三代将軍家光や八代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄った。
家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれて広重の絵にも見えている。
以来将軍が目黒筋へ出かけたには立ち寄って銀一枚を与えるのが例であった。
また十代将軍家治が立ち寄ったときには団子と田楽を作って差し上げたと古文書にも書き残されている。
こんな事から「目黒のさんま」の話が生まれたのではないか。>
落語の「目黒のさんま」が生まれた場所というわけです。
この落語のおかげで、目黒と言えば「さんま」になりました。
今では落語を知らない人もいます。ストレートに目黒のさんまはうまい、と思っています。
毎年9月に、目黒駅をはさんで、「さんま祭」が開催されて大変賑わいます。駅から白金の方の品川区の「さんま祭」は宮古からさんまが来ていました。目黒区はちょうどこの田道あたりで開催されますが、さんまは気仙沼から来ていました。
どちらも今回の東日本大震災で大きな被害を受けました。
今年は開催は無理でしょうね。
茶屋坂は江戸時代に、江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下がるつづら折りの坂で、富士が良く見えたようです。

歌川広重の<名所江戸百景>に「目黒爺々が茶屋」があります。
今は坂から富士山は見えません。目黒清掃工場の白いえんとつが目立ちます。
目黒駅から、権之助坂を下り、目黒川に出ます。目黒川に沿って歩き田道橋まで来て、少し左に行くと、1つの庚申塔があります。柊庚申とありした。
そこをもう少し行くと、「田道庚申塔群」があります。

屋根があって、1基のお地蔵さんと6基の庚申塔が並んでいます。
延宝年間から元禄、正徳までと江戸の前半のものですが、保存状態は大変良好で、青面金剛、太陽と月、二羽の鶏、三匹の猿の彫刻がそれぞれにはっきり確認できます。
右から年代を記してみます。
1673(延宝 1)造立の念仏供養(ねんぶつくよう)のお地蔵さま。
1677(延宝 5)造立の青面金剛。
1695(元禄 8)造立の青面金剛。
1680(延宝 8)造立の青面金剛。
1695(元禄 8)造立の青面金剛。
1692(元禄 5)造立の青面金剛。
1713(正徳 3)造立の青面金剛。
先に関口の方の庚申塔を紹介しましたが、その時はっきり出ていなかった太陽と月もここでははっきり彫られています。

庚申塔群の前を通る道は、かつて麻布、青山方面から目黒不動尊(めぐろふどうそん)への順路で、江戸中期以降はやや町並化された場所でした。
その道を、田道橋を渡って麻布、青山方面へ向かうと、すぐ茶屋坂があります。

「茶屋坂と爺々が茶屋」跡の説明板は次のように記してあります。
<この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、三代将軍家光や八代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄った。
家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれて広重の絵にも見えている。
以来将軍が目黒筋へ出かけたには立ち寄って銀一枚を与えるのが例であった。
また十代将軍家治が立ち寄ったときには団子と田楽を作って差し上げたと古文書にも書き残されている。
こんな事から「目黒のさんま」の話が生まれたのではないか。>
落語の「目黒のさんま」が生まれた場所というわけです。
この落語のおかげで、目黒と言えば「さんま」になりました。
今では落語を知らない人もいます。ストレートに目黒のさんまはうまい、と思っています。
毎年9月に、目黒駅をはさんで、「さんま祭」が開催されて大変賑わいます。駅から白金の方の品川区の「さんま祭」は宮古からさんまが来ていました。目黒区はちょうどこの田道あたりで開催されますが、さんまは気仙沼から来ていました。
どちらも今回の東日本大震災で大きな被害を受けました。
今年は開催は無理でしょうね。
茶屋坂は江戸時代に、江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下がるつづら折りの坂で、富士が良く見えたようです。

歌川広重の<名所江戸百景>に「目黒爺々が茶屋」があります。
今は坂から富士山は見えません。目黒清掃工場の白いえんとつが目立ちます。
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