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横浜・山下公園のカモメと「赤い靴」の像

横浜へ行って、山下公園で一休みしました。
一羽のカモメ
かつてこのあたりはフランス人居住地区だったことから、当初フランス波止場と言われたようです
大正12年9月1日に起きた関東大震災のときは、建物などの残骸の集積場とされたこともあります。山下公園と指定されたのはその大正12年の11月15日で、開園したのが昭和5年の3月15でした。
カモメが舞っていました。
飛んでいるカモメ

かもめの水兵さん
ならんだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップ チャップ うかんでる

かもめの水兵さん
かけあし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波をチャップ チャップ 越えてゆく


山下公園の中にこの歌の碑があるようですが、カモメを見ていると武内俊子作詞「かもめの水兵さん」を思い出します。
メリケンとは、アメリカン(American)の古い日本語表記で、現在ではあまり使われません。
山下公園ですぐ気がつくのは、赤い靴の女の子の像です。
赤い靴の女の像
今、横浜土産には、赤い靴をデザインしたものがとても多いです。

赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった


野口雨情の作詞の童謡『赤い靴』をはいていた女の子にはモデルがいました。
明治37年7月15日静岡県清水市宮加三(旧二見村)に生まれた「岩崎きみ」という女の子です。
「きみ」私生児だったようです。私生児を産んだことで白い目で見られた母かよは、逃げるようにして北海道に渡りました。北海道の厳しい生活。そしてまだ2歳になったばかりで病弱な「きみ」は、養女を探していたアメリカ人宣教師夫妻に託くことにしました。
宣教師夫妻は「きみ」を実の子どものように育てていましたが、母国アメリカから帰国命令が来ました。
実はこのとき「きみ」は不治の病におかされていたのです。
宣教師夫妻は病の「きみ」を船に乗せることができず、孤児院(当時麻布十番にあった鳥居坂教会の孤児院)に残して旅立ちます。「きみ」は、その孤児院で、亡くなってしましました。わずか9歳でした。
一方、北海道へ渡った母かよは、死ぬまで自分の娘「きみ」は、宣教師夫妻と一緒にアメリカで、元気に暮らしているものと信じていました。
かよは、北海道で、鈴木志郎と結婚しています。その鈴木志郎が札幌の新聞社へ入社して、同じ頃この新聞社に勤めていた野口雨情と知り合い、宣教師夫妻とアメリカへ行っただろう「きみ」の話を聞いて、この詩を書いたということです。
現在「赤い靴の女の子」の像は一番古いのは昭和54年に設置された山下公園の像ですが、「きみ」にゆかりのある地に合わせて各地にあります。
生まれたふるさとを望む日本平。北海道の開拓野上のあった北海道虻田郡留寿都村。一時一緒にすんでいた小樽。「きみ」が亡くなった孤児院のあった麻布十番。
さらに新しく、初めての北海道の地に立った函館。鈴木志郎の故郷である青森県鰺ヶ沢町にもあります。
また、横浜には、こじんまりしていますが、横浜駅中央通路に。
この横浜駅の像を入れると国内に全部で8つの像があることになります。
これだけではありません。横浜開港150周年と銅像建設30年、横浜市とアメリカサンディエゴ市の姉妹都市50周年(2008)をきっかけに、アメリカ、サンディエゴ市の海辺の公園にも設置されました。
このアメリカの像も入れるときみちゃんの像は全部で9もあるのです。
「赤い靴の女の子」は、異人さんに連れられて行っていないことが分かったのは昭和53年のことでした。
童謡「赤い靴」が世に出たのは、大正11年のことです、
赤い靴の像
そして山下公園に「赤い靴の女の子」像が造られたのは、連れられて行っていないことが分かった次の年、昭和54年なのですね。
1979年、横浜山下公園に『赤い靴はいてた女の子の像』が作られた。これは純粋に雨情の詩のイメージをモチーフにしたもので、赤い靴を愛する市民の会(後に赤い靴記念文化事業団と改称)から寄贈されている。また同会は、この像のミニチュア版(999個制作されたうちの1個)を1982年8月に横浜駅へ寄贈、当初は同駅南口に設置されていたが駅改良工事に伴い1998年に撤去となり、その後は保管されていた。2010年12月に同駅自由通路(中央通路)に移設されている[4]。
山下公園の少女像は、あくまで野口雨情の詩のイメージから生まれたものだそうです。
そして、横浜駅とサンディエゴ市の像は、この山下公の像と同じ型のものだそうです。
そしてあとの6つの像は、前述の話から作られた像でした。
調べてみると、なかなか奥の深い、「赤い靴」でした。
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東京国立博物館の1日

東京国立博物館へ特別展「始皇帝と大兵馬俑」 を見に行きました。
今から約2200年前に中国大陸に統一王朝を打ち立てた秦の始皇帝。その陵墓のほど近くに埋められた「兵馬俑」。中国で2回。日本でも来るたびに見ていますが、今回の展示は、現地を思い出すすばらしい展示でした。
東博 兵馬埇2
写真が撮れる、復元された兵馬埇です。
前には、射手。片膝を立てて、緊張した表情で前方を見ています。もともと右側には、弩弓を携えて攻撃命令を待っている姿勢と言われます。
東博 頼朝像
帰りに本館へ廻って、埴輪や仏像、干支の猿など見ました。
写真は、国の重要文化財「伝源頼朝坐像」です。
鎌倉鶴岡八幡宮に伝来したもので,江戸時代には源頼朝とされていました。
狩をする時の服装で烏帽子をいただくこの像のような姿は、武士の略式の正装です、頼朝歿後100年近く経過したころの作で同じ鎌倉にある建長寺の北条時頼像、明月院の上杉重房像と似ています。はたして頼朝か?
東博 椿
広場で、樹木の観察会をしていました。椿がきれいでした。
東博 わびすけ
こちらはベニワビスケという品種です。
東京国立博物館の外から「黒門」を見ました。
東博 黒門
この門はもともと旧丸の内大名小路(現丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門でした。正式には「旧因州池田屋敷表門」と言います。
明治になって当時の東宮御所(現高松宮邸)の正門として移され、昭和22年(1942)大蔵省所管となり、さらに昭和28年(1953)に上野公園東京国立博物館構内に移築されました。左右に唐破風の番所を備え、国の重要文化財に指定されています。

新年明けましておめでとうございます。

年が明けました。今年も良い年でありますように。
谷中に行ってきました。谷中の正月風景で、新年のご挨拶です。
本行寺 山門
日暮里駅近くのゆるやかな御殿坂を登ると、長久山本行寺。今年行ってとても好きになったお寺です。一茶の句もあります。
諏方神社拝殿
谷中の総鎮守「諏方神社」。富士見坂を登ったらすぐです。大晦日の干支の灯籠をともしてすてきだと聞いています。その灯籠が残っています。今年は申年です。
谷中の諏訪神社_edited-1
実は谷中七福神巡りをしてきました。谷中七福神は、東京都台東区・荒川区・北区の7寺院に祀られている七福神で、最も古い歴史があります。
不忍池弁天堂

家紋はむずかしい

四ッ谷駅前の四谷一丁目遺跡見学会があって、見に行きました。このことは、またきちんと書きたいと思います。
その遺跡の中に瓦があって、そこの「右二つ巴」という紋が入っていました。まわりに模様があるので、正式には、「右二つ巴」ではないのかもしれませんが、
紋の入った瓦
「右二つ巴」で有名な人は、忠臣蔵の大石内蔵助です
紋章というのは、おもしろいです。
江戸時代、家紋はその家それ自体を表現する「しるし」として、家の象徴として衣服やいろいろな調度品につけられました。
そして江戸時代の人たちは、例えば、浮世絵などに描かれた家紋からその人物を特定できるほどに、家紋について精通していたようです。
先日「家紋の話」という講座を受講しました。
その中で、夏目漱石の話が出て来ました。
漱石は『硝子戸の中』の23に次のように書いています。
「私の家の定紋(じょうもん)が井桁(いげた)に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、父自身の口から聴いたのか、または他のものから教わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。」 これが夏目家の家紋です。
井筒に菊 紋
井桁はこの菱形です。
井桁の家紋
夏目家の家紋は正式には、「籬架菊」(ませきく)と言います。これ、本来は木や竹を組んだ垣根に菊を植えた風情を表している紋です。
夏目漱石は、井桁に菊と書いていますが、これ間違いのようです。
間違いだとすると、喜久井町と言う地名が困ってしまいます。
近くに夏目坂という地名も現存していますし、喜久井町も、夏目家から出た、がふさわしいです。どうしても「井」が欲しいので、井筒ではどうかなと思います。
井筒という井の方形はあるようです。紋章では正方形を井筒。菱形を井桁と呼んでいるようです。
ですから、漱石は、「井桁」でなく、「井筒」に菊と書けば良かったのではないかと思います。
家紋は難しいようですが、おもしろそうです。

ビルのあいまに頭を出したゴジラ。 吠えるか。

新宿は歌舞伎町、かつてのコマ劇場があった所に「新宿東宝ビル」が17日グランドオープンしました。
ゴジラが出現したというので見に行きました。
靖国通りから歌舞伎町に入ると、みんなが、スマホを上に向けています。
ビルに手をかけたゴジラの頭の部分が見えます。
歌舞伎町にゴジラ1
ホテルにゴジラ
8階の場所ですから、小さいですが、ゴジラです。
まさか「ゴジラ」を作るとは想像もしていませんでした。
コマ劇場が無くなって、シネコンとホテルが出来ると聞いて、正直あまり期待していませんでしたが、こんな手があったのかと、少しびっくりしました。
「新宿東宝ビル」1階は飲食・物販店舗、8階から30階までがホテル。そして3階から6階は都区内でも有数の規模を誇るシネマコンプレックス TOHOシネマズ 新宿です。
このゴジラについては、次の解説がありました。
「ビル8階の屋外テラスに設置されたゴジラヘッドは、『ゴジラvsモスラ』(1992年)の撮影で使用し、保管してあったゴジラ原型を3Dスキャンで起こしたものだ。設置面積258㎡、重さ80トン。高さはテラス床面から12m。ホテルの高さ約40mを加えトータルで52m。昭和のゴジラとほぼ同じ高さになる。造形を取り仕切った責任者に訊いてみた。『観客動員が平成ゴジラシリーズ最多の420万人という記録を誇り、あらゆる年齢層に訴えかける“モスゴジ”を選びました』
日比谷にある『ゴジラ』の銅像を始め、東宝が手がけるオブジェはこれが3体目となるようですが、
ゴジラそんなに人気があるかな、と思ったのですが、8階のゴジラが見られるカフェは、何時間も満員でした。
シネシティ側のゴジラ(映像)
コマ劇場は、株式の券があって、一時毎月通っていました。
コマ劇場の地下に東宝の映画館があって、これにも、よく行っていました。ゴジラ映画も見ました。毎回楽しみに行ったのが、「座頭市」。「悪名」シリーズ、「黒の・・・」シリーズもよく見ました。
そんな風に懐かしい場所、どうなっていくのかな、と思います。
こちらもゴジラか
プロフィール

作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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