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「漱石山房記念館」

漱石山房外観
現在の東京都新宿区早稲田南町7番地にあった「漱石山房」は漱石が晩年の9年間、早稲田南町の元医院に移り住んだ。診察室だった洋間を書斎に改装し多く「三四郎」や「こゝろ」などの名作を執筆した場所です。
木曜会の絵
しかし、東京大空襲により焼失してしまい、昭和28年(1953)年にはその跡地に東京都が都営住宅を建設しました。
その後、昭和51年(1976)に新宿区が敷地の一部を「漱石公園」として整備し、昭和52年(1977)に東京都が都営住宅の土地建物を区に移管しました。
平成20年(2008)には漱石公園をリニューアル開園するなど、漱石山房復元への機運が高まり、平成24年(2012)に設置した整備検討会では、8回にわたり検討会を開き、平成25年(2013)3月に整備基本計画を策定しました。
「漱石山房記念館」はその跡地に建ったのです。
館内では「漱石山房」の書斎と客間、ベランダ式回廊を再現展示。
フォルムデザイン一央の入江正之代表(早稲田大学名誉教授)は「山房はこの建物の要で、庭や坂道との関係が大事だと考えた。かつて漱石が目にしていたように山房から庭や坂道が見え、かつ、坂道を行き交う人の目に映る山房の姿も漱石の生前と同じようにしたかった」と話しています。
当初、坂道側に山房の鑑賞スペースを設ける意向でしたが、議論の末に現在の配置が決まりました。
書斎と客間の図
そして、メインになるのは、「漱石山房」の書斎と客間です。どう当時の姿で「再現」するかです。
まず、漱石や家族、門下生が残した証言のもと、資料的な裏付けのある書斎、客間の一部、ベランダ式回廊を再現。そして、長男が疎開させていたおかげで難を逃れた遺品や写真類は、県立神奈川近代文学館に寄贈されているので、それを元に、再現されました。
これまでの漱石山房に関しては、書斎と客間の広さについて、8畳と10畳との説があり、はっきりしていませんでした。
今回の漱石山房記念館の建設にあたっては、一括寄贈された神奈川近代文学館に所蔵されている安井曾太郎の洋画「麓の町」が、昭和3年(1928)の写真に写っていたので、その絵の寸法から、部屋の広さを割り出しました。
それによると、書斎、客間どちらも10畳ということが判明しました。
安井曾太郎の絵
また壁紙は、昭和3年の写真でははっきりしているのですが、漱石は白と記していました。出入りしたいた経師屋の証言により「銀杏鶴」紋ということがあり、あまり気にしないで見ると、白くうつる紋なのでこれに間違いないということで、「銀杏鶴」になっています。(絵のまわりの壁紙参照)
また、書斎を飾る家具、調度品は、神奈川近代文学館の現物を複製製作されています。
書棚の書籍、洋書は、東北大学付属図書館にある漱石所蔵の書籍の背表紙を写真に撮り、一冊ずつ手作りで、つか見本に貼り付けて複製したようです。
和本については雰囲気的に似たものを集めているようです。
そのようにして、「再現」された漱石山房です。
再現された漱石山房の書斎
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東京ミッドタウン SUMMER LIGHT GARDEN

六本木の東京ミッドタウンで、東京ミッドタウン開業10周年を記念して、イルミネーションによる“ひかり花火”と約300発の本物の仕掛け花火が競演する
イベントが開かれるというので、行ってみました。
ミッドタウンの庭
ミッドタウンの芝生広場へ午後6時に着くと、もうたくさんの人。午後7時からなので、なんとか、座って待ちたいと、場所に行くと、もう満員です、と言われてしまいました。でも、係の人が親切で、探してくれて、なんとか、割り込ませていただきました。
正面には、「ひかり清流」が写されていました。
どんどん増える人人
日が落ち、7時ごろから、「ひかりの花火」が、写ります。「日本三大花火」の演出で次ぎ次ぎ花火が写ります。
いくらかテレビを観るようですが、野外というのが良いです。風も心地よいです。
光の花火 1

光の花火 2
7時50分になって、大きな花火の音とともに、本物の花火が上がりました。、、「ひかりの花火」と「本物の花火」とのコラボレーションです。
光の花火と生花火のコラボ

けっこう燃えるぜ 生花火

生花火の残像けむり
都会の夏の夜を彩る「花火」なかなか、すてきでした。

鎧神社の節分祭

新宿区北新宿の鎧神社へ節分祭を観に行きました。古式鬼追いの儀があるということで、ぜひ一度と思ったのです。
式は午後3時からでした、
20分くらい前だったので、まだ参詣の人は少なかったです。
「鎧」の字を白く抜いた、青の半纏を着た氏子さんが準備をされていました。
社殿内には入れないので、とにかく前にと思って、賽銭箱の横に陣取りました
法螺の音が響き追儺式の始る
午後3時、法螺貝を拭いて、開会が宣せられます。
儀式は修祓に始まり玉串奉奠まで続きます。これが結構長いです。拝殿の奥は少し暗いし、よく見えません。
修祓、祝詞奏上
祝詞が続き、玉串奉奠になりました。玉串奉奠は拝殿に参列した氏子が全員行います、ずいぶんたくさんの人が並んでいたようです。奉奠が終わると、豆やみかん、お菓子などが入った枡をそれぞれが受けていもどります。みる境内を見るとは参詣人で溢れています。子どもが多いです。それぞれ、豆をいただく準備をしています。
追儺式(ついなしき)、鬼追いの儀が始まるアナウンスがありました。
赤鬼、青鬼が、神楽殿の上に現れます。そこから、拝殿に歩いて来ます。
鬼が拝殿へ
拝殿に入ると、神官が扮した鬼追い役、四つ目の方相氏と鬼達の調伏問答が始まります。
方相氏(ほうそうし)は、古代中国の伝承に登場する鬼神です。追儺式(鬼やらい)の時に先陣を務める異形の神ということです。残念ながら、お姿は見られませんでした。
いろいろ資料をあたると、「黄金で出来た四つ目の仮面を被り、玄衣(黒い衣)に朱の裳(もすそ)を着用し、手には鬼を斬る大きな刀や矛・盾を持つ」とあります。
まず赤鬼が、問答で、調伏された鬼が「鬼は外」と豆に打たれながら、するめと酒を持って退散します。
続いて青鬼が入り、調伏され、赤鬼より多くの豆を浴びました。
福の神の登場
そこに登場するのが福の神です。恵比寿さまでした。
鬼は退散
鬼が退散します。
福の神にも豆
拝殿の氏子たちは「福は内」と言って、やはり豆を撒きます。
福の神は鈴を鳴らしながら参列者に福を授けて廻ります。
参列者に福を
こうして追儺式は終了し、拝殿で追儺式に参列していた人全員が拝殿廊下と神楽殿に出て境内に溢れた参詣者に福豆をまきます。豆ばかりでなくみかんやお菓子類も撒かれて、特に、子供達の嬉しい叫び声が境内に響きました。
鎧神社 豆まき

文京区立新江戸川公園内「松聲閣(しょうせいかく)」

文京区立新江戸川公園内にある、元熊本藩主細川家ゆかりの大正期の建物「松聲閣(しょうせいかく)」の改修が終わり、平成28年1月16日に開所式典が行われました。
その新聞記事を見ていて、近くへ行ったので、足を伸ばしました。
入り口へ行くと、「今熊本の工芸品を飾って、松聲閣の見学できますよ」というと声をかけられ、入ってみました。
松聲閣は木造2階建てで、のべ約500平方メートル。大正期の建造で、一時期は細川家の住まいとしても使われていたという、ということです。
松聲閣の部屋 (2)
江戸時代、この新江戸川公園あたりは武家地でした。幕末に細川越中守の下屋敷、抱え屋敷になり、明治15年(1882)からは細川家の本邸になりました。
その後昭和34年(1959)、都立公園として開園しますが、昭和50年(1975)4月、文京区に移管され、文京区立新江戸川公園となりました。
この公園の北隣りの台地上にある永青文庫は、細川邸の事務所でしたが、現在は美術館となっています。
なお、その北に現存する旧細川邸本館は、昭和10年建造の洋館で、東京都指定文化財であり、現在は和敬塾の本館となっています。
庭園は細川家下屋敷の庭園の跡地をそのまま公園にした回遊式泉水庭園です。素朴さの中に、江戸情緒が漂う回遊式泉水庭園です。
湧水を利用した流れは「鑓り水(やりみず)」の手法をとりいれて、岩場から芝生への細い流れとなり、その周辺に野草をあしらっています。
池はこの庭園の中心に位置し、広がりのある景観をつくりだし、池をはさんで背後の台地を山に見立てています。そのように目白台の地形の変化を巧みに利用し、名園と呼ぶにふさわしい景観を作り出しています。
「松聲閣」は、細川家の学問所でした。
部屋の一部です。
松聲閣の部屋 (1)
玩具という説明で飾られていました。
木三猿です。
3猿の玩具
羽子板です。
羽子板
2階の部屋から庭を眺めました。右手に梅が咲いています。真下に水琴窟があります。
部屋から見た御庭
部屋からお庭の池の向こうを見ました。(これは1階から)
新江戸川公園
庭に出て水琴窟を見ました。新しいものです。
水琴窟
そして庭から松聲閣を見ました。
庭から見た松聲閣

「皇居乾通りの秋の一般公開」3

少し迷ったのですが、今回は、西桔橋を渡って皇居東御苑に行きました。
西桔橋は、内濠(乾濠・蓮池濠)に架かる土橋で、皇居と皇居東御苑を結んでいます。
西桔橋と乾濠
西桔橋から蓮池濠
蓮池濠
西桔橋門はどのようにあったのだろう。
西桔橋門はそのようにあったのか

西桔橋門があった
皇居東御苑へ入る前の石垣。
石垣

最後に、皇居東御苑の紅葉を。
皇居東御苑の紅葉




プロフィール

作州浪人

Author:作州浪人
「隠居」と言った方が良い境遇にありますが、心の在り方としては「素浪人」でありたいと思っています。なお作州浪人はあの宮本武蔵にちなんでいます。郷里が近いのです。
 またバックに使わせてもらっている手拭いの模様、「鎌」に「輪っか」にひらがなの「ぬ」。「かまわぬ」といかにも江戸人の気っ風が感じられ、好きです。 

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