NHK大河ドラマ『八重の桜』 八重、決戦の時
NHK大河ドラマ『八重の桜』が会津戦争に入りました。ドラマ前半のまさにクライマックスといえる6月28日の放送は釘付けになりました。
このドラマは、少なくてもここまでは、「会津藩」が主役でした。「会津藩」がどのような藩であり、藩主の松平容保をはじめとして、会津の武士はどんな生活をしていたのか、どんな行動を取ったのか、とても丁寧に追っていました。
幕末、薩長中心西軍から会津藩と庄内藩を助けようと奥羽越列藩同盟ができ、やがて西軍との全面戦争へと向かいます。しかし、白河城が陥落した時を境に、奥羽越列藩同盟は瓦解していきます。
いよいよ会津戦争に突入し、鶴ヶ城も全面包囲されてしまいます。連日、数千発もの砲弾が鶴ヶ城に降り注ぎ、会津藩士の命を奪っていきます。

山本八重は着物も袴もすべて男装し、麻の草履をはき、両刀をたばさみ、元込め七連発銃を肩にかついで城に入ります。弟の三郎が鳥羽伏見の戦いで戦死しており、その仇をとらねばならないと、命の限り戦う覚悟でした。
この回もドラマは、八重だけを追ったりしません。
京都にいる八重の兄山本覚馬も出てきます。
覚馬が、看病を得ています。日本の取るべき道を獄中から示した建白書「管見」がこの後生かされること思わせました。私は、この『八重の桜』で山本覚馬がしっかり描かれているので、見逃さないようにしています。覚馬のことは一度書きたいと思っています。
照姫も城の中に出てきました。
実は、大混乱に陥った会津城内を取り仕切ったのは、容保の2歳年上の義姉・照姫だったと言われています。照姫の松平容保への思慕を思うとどこか哀れです。
会津藩の筆頭家老の西郷頼母も忘れられません。度々恭順論を唱えて主戦派と対立してきました。 その西郷頼母の家では、2歳の季子をはじめ頼母の家族、居合わせた親族の家族、譜代の家臣ら全員が自害します。土佐藩兵が西郷の屋敷に入ったとき、17、8歳の息絶えだえの女子がいて身を起こすと、「そなたは敵か味方か」と尋ねます。「味方なり」と答えると、懐刀を刺し出し、土佐藩兵は、介錯します。
有名なエピソードですが、胸がつまります。
おなじく哀れなのは白虎隊です。隊長が戻らない白虎隊士中二番隊の20名は、リーダーの安達藤三郎と篠田儀三郎に率いられ、飯盛山の裏側にたどり着きます。はうようにして飯盛山の山頂に登ると、城下は、火の海。火炎に包まれた鶴ケ城の天守閣が見えました。そこで自決をします。
会津の悲惨さはとても重いです。その悲惨さが見事に描かれていました。
このドラマは、少なくてもここまでは、「会津藩」が主役でした。「会津藩」がどのような藩であり、藩主の松平容保をはじめとして、会津の武士はどんな生活をしていたのか、どんな行動を取ったのか、とても丁寧に追っていました。
幕末、薩長中心西軍から会津藩と庄内藩を助けようと奥羽越列藩同盟ができ、やがて西軍との全面戦争へと向かいます。しかし、白河城が陥落した時を境に、奥羽越列藩同盟は瓦解していきます。
いよいよ会津戦争に突入し、鶴ヶ城も全面包囲されてしまいます。連日、数千発もの砲弾が鶴ヶ城に降り注ぎ、会津藩士の命を奪っていきます。

山本八重は着物も袴もすべて男装し、麻の草履をはき、両刀をたばさみ、元込め七連発銃を肩にかついで城に入ります。弟の三郎が鳥羽伏見の戦いで戦死しており、その仇をとらねばならないと、命の限り戦う覚悟でした。
この回もドラマは、八重だけを追ったりしません。
京都にいる八重の兄山本覚馬も出てきます。
覚馬が、看病を得ています。日本の取るべき道を獄中から示した建白書「管見」がこの後生かされること思わせました。私は、この『八重の桜』で山本覚馬がしっかり描かれているので、見逃さないようにしています。覚馬のことは一度書きたいと思っています。
照姫も城の中に出てきました。
実は、大混乱に陥った会津城内を取り仕切ったのは、容保の2歳年上の義姉・照姫だったと言われています。照姫の松平容保への思慕を思うとどこか哀れです。
会津藩の筆頭家老の西郷頼母も忘れられません。度々恭順論を唱えて主戦派と対立してきました。 その西郷頼母の家では、2歳の季子をはじめ頼母の家族、居合わせた親族の家族、譜代の家臣ら全員が自害します。土佐藩兵が西郷の屋敷に入ったとき、17、8歳の息絶えだえの女子がいて身を起こすと、「そなたは敵か味方か」と尋ねます。「味方なり」と答えると、懐刀を刺し出し、土佐藩兵は、介錯します。
有名なエピソードですが、胸がつまります。
おなじく哀れなのは白虎隊です。隊長が戻らない白虎隊士中二番隊の20名は、リーダーの安達藤三郎と篠田儀三郎に率いられ、飯盛山の裏側にたどり着きます。はうようにして飯盛山の山頂に登ると、城下は、火の海。火炎に包まれた鶴ケ城の天守閣が見えました。そこで自決をします。
会津の悲惨さはとても重いです。その悲惨さが見事に描かれていました。
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